プロフィール

x68000+

Author:x68000+
ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語+MILITARY(食玩・プラモデル・実物)
ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語の番外編として、ミリタリーネタを中心に掲載しています。食玩関係(バンダイ・タカラ・タカラトミー・タカラ文林堂ハセガワ・田宮・F-TOYS・アルジャーノン・カフェレオ・ハセガワ・童友社・ドラゴン・ボーフォードジャパン・キャンバス・ポピー・タルガ)の素組が殆どですが、チョコチョコっとリペイントもやってます。リンクフリーで御座いますので、ご自由にお貼り付け下さい。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

川崎 二式複戦 屠龍

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村




toryu-2 - コピー (2)

キ45改丁 

飛行第53戦隊 

第3震天制空隊 所属機

昭和20年 

千葉県 松戸飛行場



toryu-1 - コピー (2)

キ45改丙 

飛行第21戦隊 

第1中隊 所属機

昭和18年 

スマトラ島 パレンバン飛行場






川崎 二式複戦 屠龍

この航空機も海軍の月光と同じ構想によって開発されましたが、戦闘機としては使いものにならないと、これまた同じ状況でお払い箱の道を歩みつつありました。

実戦においては、制空権下の中国大陸において、B級戦闘機のカーチスP-40ウォーホークに惨敗するなどして双発戦闘機としては失敗でした。
そこで、旧式化していて武装が弱かった99式軽爆撃機の後任を任される様になって、この任務においては、高速重武装高運動性が幸いして前線からは歓迎されたみたいです。
海軍の月光と同じ双発戦闘機ですが、同じエンジンを選択しているにもかかわらずかなり小さな機体に仕上げられており、その事自体が軽快な運動性能を誇る事を示しています。
月光がその前身に偵察機に一時転職していましたが、陸軍には傑作双発偵察機の100式司令部偵察機(後にご紹介)が有ったので軽爆撃機となったのです。

実は屠龍には高高度迎撃機バージョンの試作キ-96が存在しました。
これは、将来の航空戦が一撃離脱の重戦闘機思想となるであろうことを予測した川崎技術陣が提案したもので、高高度で進入する敵航空機を屠龍のわずか3分の1の時間で上昇できるものでした。
屠龍で45分も掛かる高高度をわずか17分で到達する性能です。
残念ながら当時の陸軍はこの航空機の有用性を理解できませんでした。
ヨーロッパではbf109戦闘機による一撃離脱戦法が大きな戦火を挙げており、その現実を認識していたのもかかわらずです。
結局この試作キ-96不採用が本土防空戦で大きな痛みとなってはね返ってきたのです。

日本が守勢にまわった頃には軽爆撃機の必要性は薄れてしまい、大火力の重戦闘機が求められる事となり、この屠龍と100式司令部偵察機がその任務に活躍しました。
屠龍には、20mm機関砲や37mm砲なんていうゴツイ武装を機首にかためて装備出来た構造上の強度の高さが幸いして、重爆撃機に対して威力を発揮する事になりました。

最初、B29の爆撃は超高高度による軍事工業拠点の爆撃でした。
屠龍にはとても対応できる高度ではなかったのです。
敵機進入の連絡を受けてスクランブルしたとしても45分も掛かっていたのでは、同高度に達した時にはもうB29の姿は無かったのです。
運良く到達しても攻撃できるチャンスは1回だけで、失速により反転再度攻撃は出来なかったのです。

しかしここで屠龍にとって幸運な事が起こりました。
B29は、超高高度による軍事工場目標の爆撃が上手くいってなかったのです。
それは偏西風による影響が強かったのです。
またB29の超高高度での飛行でのリスクが高かった事も有ります。
そこで戦略を大きく変更し、低高度による市街地への焼夷弾無差別爆撃となったのです。
ここで、屠龍を含め多くの日本の防空戦闘機がB29を迎撃できるようになりました。

山口県下関市小月飛行場の第12飛行師団第4戦隊の屠龍隊は大変練度が高く、北九州を狙って入ってくるB-29に大打撃を与えB-29キラーの名を欲しいままにしました。
海軍月光の斜め銃に習って上向き銃(同じ斜め銃)も装備しました。
後にB-29クルーの証言で、最も怖かった日本の迎撃機はの問いに屠龍の名前を1番に挙げてます。
屠龍は重戦闘機タイプ以外に体当たりを専門にする震天制空隊も組織され、機体にはその心意気を示すかの様にカブラ矢を描いて体当たり攻撃も行いました。
この体当たり攻撃は、基本的に体当たり寸前にパイロットは脱出してB-29に屠龍をぶつけるというものでした。

屠龍がこれ程の戦果を上げられたのは、パイロットの士気と練度の高さや屠龍の優秀性に加えて、陸上からの無線連絡誘導指揮のシステムが確立し、地上部隊の対空砲と連動して完全に機能していたからです。
屠龍は決して双発戦闘機としては優秀な性能ではありませんでした。
最後まで機体の不調と改修作業は続き、最前線パイロットや整備地上部隊からは不評だったのです。
川崎技術陣のあきらめない改良作業と、パイロットの不屈の精神、さらに本土防空なので被弾後の帰還し易さと補給の利点、完成された防空システム、B29による爆撃が低高度への戦略変更がこの航空機に能力以上の力を与えたのです。
これだけのシステムがもっと多くの航空基地の迎撃体制にフィードバックされていれば、本土防空戦の成り行きは変わっていたと僕は思うのですが・・。








姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。
スポンサーサイト

ドルニエ Do335 プファイル双発重戦闘機 (おおありくい)

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村



PICT0067 - コピー


PICT0064 - コピー




ドルニエ Do335 プファイル双発重戦闘機 (おおありくい)


全世界がブームの様に開発していた双発戦闘機シリーズ。
そして例外なく全て失敗に終わってしまい、連合国は単座双発爆撃機へ枢軸国は防空戦闘機と夜間戦闘機と転職してゆきました。

1942年、ドイツ好みの電撃戦がやれる超高速双発爆撃機の開発を指示しました。
ひとつは有名なMe262で、こちらはジェットエンジンを装備していましたから、最初っから超高速が出せるものでした。
レシプロエンジンで超高速の800km/h出る双発爆撃機なんて、当時の技術から考えて絶対不可能ともいえる常識を逸脱し過ぎた要求でした。
双発機のレイアウトは、両主翼にそれぞれ1基以上のレシプロエンジンを並べるわけですから、普通に考えても空気抵抗は莫大なものになります。
しかも重量も大きい。
爆撃機でなんですよ!。
単座レシプロ戦闘機を小型軽量に作り、特別なチューンを施せば可能なレベルでした。
前面抵抗面積が最大の問題だったんです。
ドルニエ社は発想の転換をしました。
単座レシプロ機にエンジンを2台直列に並べて駆動させれば可能ではないかと。
幸い、ドルニエ社はこの2基直列連結でそれぞれで同一軸上でプロペラを回転させる技術に特許を持っていました。
大戦争中に特許もあったもんではないのですが、列強の航空技術者がこのレイアウトに気付いていながらも採用していないのは、その技術レベルが余りにも冒険的で困難だったからです。
ドルニエ社は、この2基直列連結エンジン前後プロペラ駆動を飛行艇で既に採用していました。  
ドルニエ技術者達は確信があったのです。
エンジンは、ドイツで最も信頼されメッサーシュミット戦闘機にも採用されていたダイムラーベンツDBを1軸上に2台並べ、それぞれ前後にプロペラを取り付けました。
ただし、前後のエンジンが同じ方向にプロペラを回転させてしまうと機体がローリングしてしまいますから、前後別々方向に回転してトルクを打ち消しあう様になっています。
DBエンジンは水冷です。ラジエター冷却機が必要になります。
よくみますと、水冷なのにプロペラカウリング周辺が空冷みたいな空気取り入れ口になっていて、そこからラジエターに空気を導入していました。
後部エンジンは、機体下部に飛び出たエアインテークが付いています。
両エンジンは中央でユニバーサルジョイントとギアで連結されていて、前後別方向に回転させても同調がとれる様になっていました。
完成されたテスト機では予想をはるかに下回る600km/h超えした程度でしたが、さすがに大馬力で一応単座っぽい構造でしたから、運動性能はこのテの大柄な機体のわりには抜群でした。
早速採用されて開発がすすみました。

ところが大戦末期ドイツ本土空襲が激しくなると、もう電撃戦で高速爆撃機の量産なんて夢幻のごときでした。
いえ、この夢幻を追い続けた人が約1名、そうアドルフヒトラー総統だけだったのです。
この気まぐれ開発命令で航空機生産は遅れ、必要な航空機がまともに前線に配置されなくなっていたのです。
スーパー兵器になるはずだったMe262ジェット戦闘機なんて、気の毒なくらいの犠牲者でした。
連日、数百機の大群で押し寄せる連合軍重爆撃機軍に対して、強力な防空戦闘機の生産を指示した頃は時すでに遅し。
この時点で、迎撃戦闘機への転職が可能な航空機探しとなったのです。
Do217やMe110やJu88等はその転職組です。
ここで、Do335に転職が命じられました。
もともと単座戦闘機の様な機体に大馬力ツインエンジンで運動性能も良く、爆撃機を想定し1000kgもあって搭載量も十分。
搭載量が大きいので剛性が高く重装備が出来たのです。
機体構造にとっても余力があったのが幸いでした。
基本武装はエンジン軸上のからモーターカノンMK30mm砲1門、機体上部にMG151/M20mm砲を2門。
全ての武装を機体主軸直線状に配置できたので、命中率は上がり航空機の運動性能的にも理想でした。
恐らくさらに改良が進めば、機体中央部に夜戦用の斜め銃や両主翼に20mm砲の追加パックや鹿の角レーダーも搭載されたかもしれません。
この航空機のもうひとつの目玉は自動脱出装置です。
後方にプロペラが回転していますから、そのまま機体から脱出するとプロペラに接触して、搭乗員の生命に大変危険でした。
日本では、局地戦闘機九州飛行機震電も後方プロペラでしたが、搭乗員は脱出の際にプロペラを爆破してからの飛び出す事になっていました。
当然Do335でも同じ爆破装置は付いていましたが、さらに安全性を高めるために、キャノピーが吹き飛び座席ごと射出される装置も搭載されました。
現在の戦闘機に当たり前についているものと、ほぼ同じ構造です。
この時代に実現してるなんて、ドイツの科学力は途方も無いですね。
さらに、自動敵味方識別装置FuG25aや着陸誘導装置FuG125や自動消火装置まで装備する、まさにドイツ好みのオーバースペック満載の機体でした。
最終的には最高速度770km/hまで到達した様です。
双発レシプロ重戦闘機にしてはスゴイ!。

ネーミングの「プファイル」はもともと弓矢の「矢」の意味です。
この機体を後方から垂直尾翼と水平尾翼が十字になっていましたから、見た目からその名前が付いた様です。
実際は、大柄なボディーから「おおありくい」と呼ばれました。

実際の生産数は35機程度といわれ、実践参加はなかったとされています。
連合軍に飛行中のDo335の目撃例が有り、これはテスト飛行中のものではなかったかと考えられます。

これだけの優秀な機体なのにたった35機とは、どうなっているのでしょうか。
荒廃するドイツ国内と慢性的な物資不足に、ドルニエDo335工場の空襲による破壊が原因とされています。
現実は、ドルニエ社は爆撃機と飛行艇のメーカーなんで戦闘機なんて作らなくていいよ・・・とか、すでに軍部お気に入りメーカーのメッサーシュミットMe262が採用されているのでドルニエ社には・・・とか、こんな1機が複雑で高価な航空機よりも安くって数揃えられる小型機が欲しい・・・とかが本音でしょう。
ハインケルウーフーの時と同じで、政治と企業と金の癒着によって優秀な人材が適材適所の配置されない現代の日本を見ているかの様ですね。





姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。





メッサーシュミット Bf-110駆逐機 デストロイヤー(Zerstorer)

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村





me110-1.jpg

me110-2.jpg




メッサーシュミット Bf-110駆逐機 デストロイヤー(Zerstorer)

WW2直前に、世界中で開発競争をした双発戦闘機のひとつです。
WW2での双発戦闘機では、連合軍のイギリスのモスキートやアメリカのP-38ライトニング(後にご紹介)が大変有名で実績を残したのに対し、枢軸軍の日本の屠龍や月光とドイツのBf-110やMe-410は、戦闘機としてはイマイチになってしまいました。
これについては、守勢であった枢軸軍が、双発戦闘機を戦闘機として攻撃にあたっても、所詮双発戦闘機が単発戦闘機には敵う筈もなかったからです。
逆に、攻勢にあった連合軍は、十分な単発戦闘機の護衛に制空権下での双発戦闘爆撃機として使用した事もあり十分な実績を残せました。
双発戦闘機に対する考え方の違いがそ、そのまま浮き彫りになったと言えます。
結局は、枢軸軍の双発戦闘機は連合軍爆撃機の迎撃専用機として終えました。
守勢と攻勢の違いですね。

Bf-110は、ドイツ空軍元帥のゲーリングの肝入りによって開発に拍車がかけられ、その攻撃力の高さの誇示から、自らデストロイヤーと名づけ全世界にプロパガンダしました。
当時の双発戦闘機の中にあっては大変小さく細身にまとめられた航空機で、高速長距離戦闘機のイメージを強く打ち出しています。

WW2緒戦の圧倒的攻勢で制空権を掌握していた頃は、ポーランド・ノルウェー・オランダ・ベルギー・フランスの旧式戦闘機相手におもしろいように戦果をあげました。
しかし、イギリス本土でのバトルオブブリテンでは、爆撃機を長距離護衛するはずのBf-110駆逐機が、イギリスのハリケーン(後にご紹介)やスピットファイヤー(後にご紹介)に簡単に後ろを取られて駆逐されてしまいました。
最後には、護衛戦闘機のBf-110の護衛にBf-109が護衛するといった本末転倒な事態になってしまいました。
また、長距離護衛機のはずなのに航続距離が不足していた事も判明、まったく使い物にならなかったのです。
航続距離不足についてはドイツ機全般に言える事で、あくまでも陸上部隊と共同作戦が前提で設計されていましたから仕方がない事ですね。
日本陸軍と似ています。

1941年5月に、幹部のルドルフ・ヘスがイギリスへ強行単機不時着したのはBf-110(現在イギリスにエンジンが残されています)で、イギリスのレーダー網を巧みに突破出来たのはこの航空機の飛行性能が優秀であったからで、もしこの航空機が連合軍側にあったならば極めて重大な役割と結果を残せたはずです。

使い物にならないとお蔵入りしつつあったのですが、イギリス軍によるドイツ本土爆撃が大規模化しするにしたがって、長時間の滞空力をを持ち重砲火力にレーダーにナビゲーターを必要とする重迎撃機が必要となり、この任務にBf-110はうってつけの航空機でした。
この任務においては、軽快な航空性能が幸いして十分な戦果をあげる事が出来ました。
後に、アメリカの参戦によってB-17やB-24が飛来するようになると、昼間は護衛戦闘機にはばまれて迎撃出来ないのでME-262(後にご紹介)等の最新鋭戦闘機に任せて、夜間のイギリスのアブロランカスターを相手に奮戦しました。

後世においてBf-110は低い評価をされていますが、そこは適材適所で考えないといけないと思います。
ちょっと不思議なのは、Bf-110が大コケしてしまったのに、さらにMe-410の開発と生産に入ってしまうなんてなんで・・・と思うのです。
そうかと思えば、Me-262ジェット戦闘機を爆撃機のみの生産としたりとなんだかよく分からん事やってしまいました。
もし、これらの開発や運用が適時に行われていたならば戦争の成り行きは変わっていたはずです。
もったいないです。





姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。



ユンカース JU-88 双発爆撃機

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村



ju88-2-x.jpg
Ju88A 第54爆撃航空団 第1飛行大隊 第1中隊

ju88-1-x.jpg
Ju88A 第1訓練航空団 第IV飛行隊 第12中隊



ユンカース JU-88 爆撃機
事実上のドイツの最後の主力爆撃機で、あらゆる任務をこなせる万能機でした。
バトルオブブリテンでハインケルHE-111が損害が多く、被害が少なかったJU-88がドイツ空軍の爆撃機の主力になったのは当然のなりゆきだったと思えます。
HE-111やDO-217と比較して、高速でコンパクトで運動性能も良くバランスが取れていて、ドイツお気に入りの急降下爆撃までこなせる多芸機でした。
見た目は、機首に多くの平面ガラスを使用しており、なんとなく無骨さが出すぎているみたいに見えます。アメリカみたいに曲面成形ガラスを使用できたならば、もっと高速が出せたのではと思います。これは、生産性を考えてあえてそうしたところが有り、アメリカみたいな圧倒的な工業力と比較するのは酷かもしれません。
武装についてはDO-217と似た機首集中型になっており、この方法は敵戦闘機への防御に死角が多く出る為、好ましい方法ではないのですが、軽量化と高速化を追求した結果だったのでしょう。
評価については賛否両論あって、ドイツ軍からはあまり歓迎されていなかったみたいですが、アメリカやイギリスでは高評価を得ています。これは環境と基本戦略が異なるので相違があってもおかしくはないですね。
この爆撃機が登場して以来、JU-88を主力として、数々のサブタイプが生産され、その後に新型爆撃機が開発登場していません。これはこの航空機が優秀すぎるが為では無く、軍部がユンカース社をごひいきにしていたからとも言われ、結局のところ、党と企業の癒着が浮き彫りになった結果でした。メッサーシュミット社もごひいきの企業で、航空機生産数がそれを物語っています。国家の存亡よりも政治と企業の癒着が優先されていたのです。負けてしまったら元も子もないのに・・・。




姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。



中島 J1N1-S海軍夜間戦闘機月光

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村






geko-2.jpg

ヨD-182 第302航空隊第2飛行隊・・・

愛知県豊橋基地

大山裕正中尉・山本謙一飛曹 機



geko-3.jpg

ヨ-101 横須賀航空隊・・・ 

神奈川県追浜基地

倉本十三飛曹長・黒島四郎中尉 機



geko-1.jpg

ヨD-176 第302航空隊第七分隊・・・

神奈川県厚木基地所属機








中島 J1N1-S夜間戦闘機 月光

元々は、1機で偵察・長距離護衛・爆撃・空中戦も出来る万能機の世界の流行に乗って作った複座戦闘機でした。
そして、例外無く、双発戦闘機構想は失敗となったのです。
アメリカのライトニング(後にご紹介)・イギリスのモスキート・ドイツのBf110デストロイヤー(後にご紹介)と同様に、どれか一つに秀でた能力を持たせて生まれ変わる道を歩みました。

最初は後方に多段遠隔操作砲塔を持つ、見た目はめちゃくちゃカッコイイ重戦闘機でしたが、敵単座戦闘機の動きにパイロットとガンナーの動作が同調とれるはずもなく、早々に撤去してしまいました。
敵のB級戦闘機にも惨敗してしまい、戦闘機としては使い物にならなくなったのです。
この辺はBf110デストロイヤーと同じですね。

使い道に困って、その航続距離の長さから二式陸上偵察機になって細々と運用されました。

ところが、ラバウル第二五一航空隊司令の小園安名中佐の発案で、斜め30度上方に打ち出す20mm機関砲を取り付け、夜間爆撃に悩ませていたボーイングB-17の腹の下に潜り込んで射撃したところ次々と撃墜し、夜間の爆撃機を駆逐してしまったのです。
この様な使い方は、軍部は反対しており、司令の独断強行改造でやったのです。
さすがにこれには軍部は驚き、夜間戦闘機月光の名前を与えました。
社会でも、現場の発案が一番即戦力になるって事よくありますよね。
アメリカ側のパイロットの話では、闇夜に、まさか腹の下に潜り込んで並行に飛行しながら打ち上げてくるなんて思ってもなく、単座戦闘機なら、上方または後方から攻撃を主に仕掛けてくるから、まったくのノーマークだったみたいです。
月光からは月明かりに写る敵機のシルエットを追いつつ打ち上げて、爆撃機側からは斜め真下に闇夜に隠れる月光が見えにくかった様です。

その後は、本土防空戦でB-29の夜間迎撃にも大活躍して、アメリカが低高度の夜間焼夷弾爆撃に切り替えてから撃墜スコアを上げてゆきました。
有名な横須賀航空隊では、1機で一晩で5機もB-29を撃墜した黒鳥四郎少尉と倉本十三上飛曹ペア機の例もあります。
陸軍にはこれと同じ道を歩んだ屠龍(後にご紹介)がありましたが、夜間は月光で昼間は屠龍と住み分けしていたみたいです。
月光にはレーダーが装備されていたのも一つの理由でしょう。

日本とドイツは、戦争終盤になると、夜間戦闘機への転職組が多くなり、その事は完全に防戦一方になっていた事を示してますね。

月光という名前は、世界中の双発戦闘機の中で、最も美しいネーミングだと思います。
連合軍が本機に与えたコードネームはアーヴィングでした。





姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。

ヘンシェル HS-129 地上対戦車攻撃機

he117-1.jpg
he117-2.jpg


ヘンシェル HS-129

別名『空飛ぶ缶切り』

Henschel Hs 129B-2 第1地上襲撃航空団 

第11飛行隊 

ルドルフ-ハインツ・ルッファー中尉乗機



Henschel Hs 129B-2 第2地上襲撃航空団 

第11飛行隊



基本的には航空戦をする為の航空機ではなく、現代でいうところのアパッチみたいな攻撃ヘリと同じ用途で作られたのですから、飛行性能をどうこう言うのは酷な航空機です。

この航空機の設計目的はイリューシンIL-2と同じ、地上からの対空砲火に対する装甲を身に着けた装甲地上攻撃機です。
ただ、シュトルモービックと根本的に違うのは、シュトルモービックが、地上部隊全域を目標に銃砲射撃と爆撃を行う事を目的としていたのに対して、HS-129はあくまでも戦車のウィークポイントへの重砲射撃のみでした。
シュトルモービックと比較するなら、JU-87スツーカの方が近いと思います。
HS-129はその標的を敵戦車としたので、火力は大型の大砲を積んでいました。
機首下面に37mmBK3.7対戦車砲が付いています。
しかも、飛行中にこれをぶっ放すんです。
この大火力で、戦車の最大のウィークポイントの真上と後方上面に攻撃を加えるのです。
あだ名を空飛ぶ缶切と言われた様に、どれだけ重装甲なソ連戦車でも一撃で撃破し、その意味では成功した機体ではあったのです・・・・・・・が・・・・・・
・・・・・・・・・・・割りにはあまり大活躍した話がないです。
考えてみれば、37mm対戦車砲を飛行中に照準してそんなに命中するものでもないし。
機体そのものの衝撃も相当だったでしょうし。
この航空機、実はかなり多くの不評な点があるのです、って言うか不評箇所が多すぎの凄すぎなんです。
機体正面からみると三角形でハゼドンみたいな奇妙な機体をしています。
これは、重量削減の為と、地上からの対空砲火を受ける面積を最小限にしたいと考えた結果だったのですが、そのおかげで、コクピットは常識外れな狭さになってしまいました。
ほとんど身動きできなかったらしいです。
なにせ、コクピット内に有る筈の計器類が風防の外に並んでいるのですから。
おまけに照準器まで外に。通常飛行中でもろくに見えないのですから、戦闘中に計器を確認する事なんてとても出来なかったはずです。
もっとも、防弾ガラスが分厚すぎて前も良く見えない状況だった様ですが・・。
こんな使い悪さを絵に描いたみたいな航空機は前例が有りません。
操縦桿の操作にも障害があった程です。
さらに加えて、エンジンをフランス製のノーム・ローンエンジンを採用してしまった事です。
これは国内のエンジンは主力機に優先的に供給する為の処置で、占領下のフランスのエンジン会社で生産したものを使用しました。
これがとんでもない非力で故障多発欠陥エンジンで、悪環境で粉塵等が有るところでは、簡単にエンジンストップしてしまいました。
総重量5tで鈍重で運動性能は劣悪で操縦困難な航空機とあって、パイロットや整備部隊からも嫌われてました。
おまけに、フランスが連合軍から解放されてしまい、エンジンの供給もストップしてしまいました。
デカイ大砲積んだ飛ぶのがやっとの航空機だったと思います。
あのドイツ空軍が、なんでこんな航空機を開発し使用しつづけなければならなかったのか・・不思議です。
戦時急務だったのしてもあまりにも・・・。
そういえば、デカイ大砲積む為の専用航空機で、アメリカのエアラコブラなんて有りましたが、この航空機もアメリカやイギリスでは不評はなはだしく失敗し、もっぱらソ連への輸出専用にされてました。
なんだか、同じ様な運命を歩んだみたいですね。
ところでこのヘンシェル社、あの世界一有名なタイガー(ティーガー)戦車を開発したメーカーです。
戦車屋さんが航空機作ると、飛行機まで戦車になってしまったんですね。








デ ハビランド モスキート 戦闘爆撃機

mq-2.jpg
mq-1.jpg


デ ハビランド モスキート 戦闘爆撃機
イギリス人が、スピットファイヤーとアブロランカスターとならび、大変誇りに思っている航空機です。
他国の双発重戦闘機の大半が失敗して、用途変更の為に転職していった中で、使用と用法が合致して大成功を収めた双発戦闘爆撃機です。
この航空機の凄さは、その機体のほとんどが木製というところです。デハビランド社は航空機メーカーとしては軍部に認められておらず、そんな企業が全木製の非武装双発航空機の案なんて持ち込んでも、一発却下は当然でした。当時、世界は全金属製の単葉機に移行しており、日本も当たり前の様に全金属製の96艦上戦闘機や97式戦闘機(後にご紹介ん)がデビューしており、部分布張りは有ったにしても、全木製なんて何考えてんだかみたいな感じだったのでしょう。デハビランド社は、戦争になれば消耗戦となって大量に軍事物資を消費するので、金属不足は当然避けられないと考え、非戦略物資の木材で航空機を考えたのです。
結果的には、この非戦略物資使用の機体の為に、他の航空機への生産の干渉が無く、木材加工業の小規模な工場でも製作可能とあって、大変成功する事になりました。
日本では空襲で航空機工場が破壊され鉄不足になり、航空機生産がマヒしてしまった事を考えますと、なんと素晴らしい発想でしょうか。
通常の航空機みたいに、アルミ材等を複雑に組み立て溶接する工程が少なく、木材を接着剤で接着して組み立てる工程ですから、高度な技術を要する工場が必要ではなかったのです。タンスを作る感じで航空機が生産されました。
この航空機が成功した最大の理由は木製だった事だけでなく、僕的にはエンジンのロールスロイスマリーンエンジンによるところが大きいのではないかと思います。あのP-51ムスタング(後にご紹介)でさえ、アメリカ製のアリソンエンジンを装備していた時は、2級戦闘機扱いだったのですから。
最大速度:667.9 km/h 爆弾搭載量1,800kgの性能は、これらの要素が最高のバランスで作られた証拠であり、これに相当する各国の双発重戦闘機と比較になりません。
実際に、ドイツ空軍はこの航空機に手を焼いており、メッサーシュミットMe262が登場するまでは迎撃困難な攻撃爆撃機でした。
弱点も有って、まずは木製の為に防御力は低く、強度的にも強いものではなかったみたいです。また木材を接着剤で組み立てた航空機なんで寿命が早く、整地された飛行場に安定した気候の地域でしか運用出来なかったのではと思います。ヨーロッパのイギリスやフランスやドイツ周辺での使用なら問題にならなかったです。高温多湿や熱射や寒冷や海風や水に弱く、ソ連の極寒地やアフリカでは活躍していない様です。木製の航空機には余りにもムチャな環境だからです。木が、水分吸ったり乾いたりして歪んだりヒビは入ったり凍ったりして破壊し、接着剤が剥がれて分解してしまうのです。
対日戦でも使用されましたが、南方の高温多湿で整地されていない雨の泥濘飛行場で、機体の強度が低下して危険な状況の様でした。対日戦用のモスキートは機体全面が銀色になってますが、これは太陽熱を反射して熱ダメージを減らす為のものでした。結果的には対日戦ではあまり活躍していません。まさに適材適所の良い例ですね。また国章マークは中央の赤丸が書き込まれてません。これは日本機との誤認を避ける為でした。
極めて効果の高い美しいデザインによる航空製と木材を使うという発想。現代社会の商品開発にも通ずるものがありますね。

ハインケル HE-219 ウーフー夜間戦闘機

u-fu-.jpg
u-fu- (2)


He219A-7 第1夜間戦闘航空団 第1飛行隊(TH)

He219A-7 第1夜間戦闘航空団 第1飛行隊(CH)


ハイケル HE-219 ウーフー
夜間の迎撃機の開発に力をそそぐ・・・、これは日本とドイツの2国に特有なもので、連日連夜に都市への戦略爆撃を受けていたからこそ、必然的に必要になったものでした。この時点で、戦争の攻守が入れ替わり、敗戦への道を歩んでいたのでしょう。
日本の月光(後にご紹介)や屠龍(後にご紹介)や、ドイツのJU-88(後にご紹介)やDO-217やBF-110(後にご紹介)みたいに、本来の用途変更した転職組とは違い、もともとその目的の為に作られた純粋な夜間戦闘機です。
当時のドイツの夜間戦闘機の花形は、JU-88やBF110が活躍してましたが、もっと高速で火力が強くレーダーを惜しげもなく搭載している戦闘機が必要と考えたのです。ヨーロッパの航空戦は電子戦が火花を散らしている状況で、レーダー捕捉攻撃は常識だったのです。当然にウーフーにもレーダーが搭載されていたのですが、機体正面だけでなく後方にもレーダーを装備する贅沢な機体で、さらに万が一のコクピットの射出装置まで搭載する、非常に1機あたりの値段が高い航空機でした。
この航空機はデビューと同時にイギリス重爆撃機を次々と葬り、戦地からは絶賛された航空機だったのですが、値段が高くって沢山作れないとか、使い易い!?JU-88に優先権を与えたりと、量産は早々に終了してしまいました。荒廃するドイツ工業力では、値段が高い航空機よりも、安くって沢山数揃えられる迎撃機必要だったのでしょう。実際は、軍部に対して反発ぎみだったハインケル社なので・・・っのが本音だったりしてます。金と企業と政治の癒着が戦争の極限下でも優先されちゃうなんて・・。今の日本の政治と金の問題で、あーだこーだ言ってますが、戦争時でも直らない事が、平和な世の中ならなおさら直らないと僕は思ってしまいました。
夜間専用戦闘機の中で、僕が一番好きな航空機です。だってデザインがスターウォーズっぽいでしょう!?。
ちなみに、夜間戦闘機なら黒色が一番みたいに思いますが、実戦では真っ黒よりも、ウーフーみたいな明灰色に斑点模様が見え難かったらしいです。日本やアメリカはずーっと黒色で通しましたが。機体下面は黒が良かったようです。

ドルニエ DOー217 爆撃機

do217 (2)
do217.jpg


Do-217 5/KG40 第40爆撃航空団 第5飛行中隊 (F8+GN)

Do-217 8/KG2. 第2爆撃航空団 第8飛行中隊 (U5+FS)




ドルニエ DOー217 爆撃機

ハインケルHE−111の影に隠れてしまって、映画等では出演頻度が少ない機体です。
やっぱり、映画空軍大戦略の影響なんでしょうかね。
性能的には、ハインケルグライフ4発重爆撃機(後にご紹介)が登場するまでは、最大の爆弾搭載量を誇る高速重爆撃機でした。
この機体の前身にDO−17が有るのですが、その時のコンセプトである高速で振り切れる爆撃機を踏襲しており、見た目もソックリになっています。似ているのは見た目だけで、構造や技術等からみれば、まったくの別物です。高速で運動性の良い爆撃機を目指した時、この様なデザインが効果的だったのでしょう。そーいえば、ユンカースJU−88(後にご紹介)も似たデザインになっています。
ドイツの悪い癖、何故かやたらとオーバースペックに凝ってしまう所があって、このDO−217に急降下爆撃機としての能力を持たせようとしました。これだけデカイ重爆撃機に急降下爆撃なんて結構ムチャで、胴体後部にパラソル状のダイブブレーキが開く構造にしたのですが、当然の如くブレーキが利かずに失敗してしまいました。驚いた事に、ハインケルグライフ4発重爆撃機まで急降下爆撃性能もたせようしたのですから、開発陣の心労は想像を絶したものだったでしょう。結局、この悪い癖で戦場デビューが遅れてしまい、重要な役割を逃してしまう事が多々でした。メッサーシュミットME−262(後にご紹介)もそーでした。
この機体も何故か後部銃座を持ちません。クルー全員がコクピット区に集中しています。構造的にはこっちの方が効率的だったのかもしれません。
ハインケルHE−111同様に、敵制空権下の運用では損害が大きく、昼間作戦にはとても使用できなくなりましたが、HE−111とは違って、夜間の重攻撃機として生まれ変わりました。それは、この機体の高速性能と運動性が優秀だったからです。
イタリアが降伏後、イタリア戦艦をミサイルで撃沈した世界初の航空機として名を残しました(DO−17やHE−111の説も有り)。
このミサイルによる撃沈は、HS293(ロケット弾)とかフリッツX(動力無し)だったとかいわれていて、どちらにしろスゴイ爆弾で攻撃した事は間違いないのですが、この戦果に日本も飛び付いて早速にミサイル作ったんです。その実戦テストで着弾した場所は、非常に有名な某温泉地の女風呂で、入浴中の女性客と風呂を吹っ飛ばしてしまい、笑うに笑えないとんでもない事件を起こしてしまいました。このミサイル、目視による無線誘導で、ミサイルに追従して母機も直線に飛ばなければならず、そんな事してたら、防空戦闘機の格好の獲物になってしまうだけで、太平洋の戦場では通用しない兵器だったでしょう。
HE111とDO−217で培った経験は、後に傑作機JU−88となって実を結びます。

ノースロップ P-61 ブラックウィドウ

blackw (2)
blackw.jpg

P-61A 6th NFS Saipan 1944 MOONHAPPY

P-61B 548th NFS Iow Jima Cooper's Snooper




ノースロップ P-61 ブラックウィドウ
夜間爆撃が激化しているヨーロッパにおいて、イギリスとドイツの双方共に迎撃に苦労している状態でした。イギリスはデハビランドモスキート(後にご紹介)を、ドイツはメッサーシュミットBf110(後にご紹介)を夜間戦闘機に改造して、護衛と迎撃に使用しました。イギリスからの報告により、将来のWW2参戦をにらんで、夜間専用の戦闘機の開発に着手し完成したのが、ノースロップP-61ブラックウィドウです。
この時期においては、レーダー技術はイギリスが1歩抜きん出ており、その技術をアメリカのマサチューセッツ工科大学で習得しフィードバックさせました。残念ながら、このレーダーはあまり性能は良いものではなかったみたいです。
2000馬力級のエンジンを、ロッキードP38ライトニング(後にご紹介)と同じ双胴双発のレイアウトとして後方に十分な視界を得る様にし、コクピットの視界も、限りなく上方に広く取れる様に面積は広くなっています。
レーダーは機首に内蔵式としており、これは空理気的にも理想的でした。
ドイツや日本夜戦等に見られる鹿の角と呼ばれる機首レーダーは大変空力抵抗がデカく、速度が簡単に20~50km/hは低下してました。周波数に比例してレーダーはデッカくなります。
この鹿の角レーダーは、元々日本が開発したた八木・宇田アンテナで、日本では自分の位置が相手に悟られるなんて理由から相手にされず、欧米の科学者は直ぐに飛び付いて進化させてゆきました。結果として、開発国の日本がレーダーの重要性に気付いた頃には手遅れになっていたという、なんとも皮肉なお話です。大戦後半には日本も結構精度が高いレーダーを備える様になりました。この辺は、男たちの大和にレーダー探知のシーンが描かれてます。
この八木・宇田アンテナは、3次元で相手を探知するには4本必要で、垂直方向に2本と水平方向に2本の合計4本で4方向のレーダー波をキャッチします。だから、鹿の角は4本の場合が多いですね。本数減らせば当然の事ながら方角が限られてきます。
ブラックウィドウは空力的にも工夫がなされており、日本の97式重爆撃機並みの大きさであるにもかかわらず、軽快な運動性能を持っていました。とは言っても、単座戦闘機には到底及ばず、昼間作戦にはとても使用できない鈍重さみたいでした。
武装は凄まじく、機首に20mm砲を4門と、機体上部に遠隔旋回砲塔に12.7mm機銃を4丁備えていました。名前のブラックウィドウの由来は、黒く凶暴な恐ろしい毒グモのイメージからのネーミングです。
実戦では日本やドイツみたいに、自軍への夜間戦略爆撃の迎撃という任務は、アメリカには当然の事ながら発生せず。もっぱら、夜間爆撃機の護衛や夜間哨戒任務が主な任務でした。
結局、ヨーロッパでは昼間爆撃でP51ムスタング(後にご紹介)やP-47サンダーボルト(後にご紹介)が護衛についており、太平洋はB-29の夜間焼夷弾爆撃であったものの、航続距離の長大化により航続距離が不足して適さなかったりと、大掛かりに大量に投入される事も無く、朝鮮戦争を最後に細々と消えてゆきました。
終戦時には、P-51を2機並列に合体させたキワモノみたいなF-82 ツインムスタングが完成して、そちらの方が全てにおいて優秀だったので、夜間戦闘機はそちらにシフトしてしまいました。
戦歴や戦果が少々地味だったのですが、アメリカの工業力と科学力の底力を見せ付ける、素晴らしいハイテク機だったと思います。
ネーミングがなにせカッコイイ!。

三菱97式重爆撃機二型(キ21-II)

97zyubaku.jpg
97zyubaku (2)


Ki-27 97式重爆撃機 第12戦隊 第1中隊

Ki-27 97式重爆撃機 第60戦隊 第2中隊



三菱97式重爆撃機二型(キ21-II)です。
日本陸軍爆撃機のコンセプトは、基本的に大陸の対ソ連軍用に限定して設計されてました。ドイツ空軍似た考え方の航空機になっていて、攻撃目標は、敵の航空基地や陸上戦力や陣地等ですから、航続距離はあまり重要視されてませんでした。大陸での作戦なんで、地上軍と連携して行動するからです。軍事目標以外の一般市街地なんて全然考えてませんでした。渡洋爆撃や戦略爆撃なんてそんなそんな・・・。
この機体の採用前に、中国方面の緊張が高まりから間に合わせにイタリアからフィアットBR.20重爆撃機を85機購入しました。当時最新鋭の航空機で、ムッソリーニ総統の決断で日本への輸出となりました。この機体は結局使い物にならなかったのですが、防弾装備の重要性と効果を確認できたのです。
この技術的教訓を元に、三菱と中島による競作となっのですが、両社共素晴らしい出来だったものだから、機体は三菱でエンジンは中島と、変に気を使った発注してしまい、両社にわだかまりを作ってしまいました。
完成した97式重爆撃機は航続距離は海軍の96陸上攻撃機に遠く及ばないものでしたが、速度は世界最先端の爆撃機のアメリカのノースアメリカンB25ミッチェル(後にご紹介)やハインケルHE-111を凌駕する世界最高速の爆撃機となりました。しかも、戦訓に習って、防弾板や防弾ガラスに燃料オイルに防漏を施すと共に、自動消火装置まで装備するハイテク機になったのです。海軍の陸上攻撃機とは間逆の機体ですね。
その代わり、重量削減の結果、爆弾搭載量はペイロードベースで少なくなりました。
中国戦線ではほとんど思うがままに行動できたのですが、太平洋においては、その航続距離の短さが災いして長距離爆撃が出来ず、大きな活躍の結果を残す事が出来ませんでした。しかしながら、敵制空権下での爆撃において、一式陸上攻撃機が大きな被害を受けてしまったのに対して、97式重爆撃機は被弾はしても耐え抜いて帰還しており、防御力の優秀性が証明されました。
敵陸上目標に対して、敵が迎撃できる前に高速で到達して爆撃を行い、陸上部隊の支援をする。多少の対空砲火にも耐えうる防御力で力ずくで突破する。この考え方においては非常に完成度が高い航空機だったのです。
後に、この爆撃機の優秀性を引き継ぐ100式中爆撃機呑龍(後にご紹介)が登場するのですが、結局97式の方が搭乗員の人気が高く、それが生産数にはっきり出ました。やっぱり使い易さと信頼性が一番って事でしょう。
同じ三菱で製作した96式陸上攻撃機や1式陸上攻撃機では後期に防御力に泣いてしまったのに、別ラインで作った97式は防弾装備を重視して結果を出せた状況で、なんでこっそりフィードバックしなかったんだろう・・?、と不思議に僕は思うのです。海軍と陸軍の派閥争いとメンツだったのでしょう。なにか今の世の中でちょくちょく見る光景ですね。政治家とか・・・・。







姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。

三菱96式陸上攻撃機

96rikukou.jpg
96rikukou (2)


22型 第一航空隊

22型 美幌航空隊


96式陸上攻撃機です。
日本が世界に先駆けて開発した長距離爆撃機です。
一式陸上攻撃機と同じ戦術と目的で開発されましたので、一式陸上攻撃機のブログをご覧いただければと思います。
96式陸上攻撃機はの開発は、山本元帥の発案によるもので、戦艦保有数の不足分の穴埋めが主たる目的だったのですが、当時世界中の誰もが考えた事がない兵器と兵法でしたので、説得に大変だった様です。さらに、日本の航空技術はやっと自国開発が始まったばかりでしたから、この様なスーパー兵器の開発そのものが困難を極めたみたいです。
三菱社の開発陣の努力には驚嘆させられますね。
96式陸上攻撃の完成により、日本の航空技術は欧米と肩を並べるまでになりました。
沈頭鋲の採用による空気抵抗の削減、自動操縦装置の搭載もなされてました。後には、電探やKMX磁気探知機を搭載して対潜哨戒機の任務もしました。
96式陸上攻撃機の最初の任務は、中国の重慶や成都に対する無差別爆撃でした。これは、渡洋爆撃と大々的に世界に宣伝され、これは、航空機が都市への長距離戦略爆撃の決定的な兵器である事を立証しました。そうです、これこそ世界初の戦略爆撃で、世界中を驚嘆させたのです。しかし、同時に弱点も判明してきて、長距離護衛戦闘機が無い中での爆撃は損害がめだってきました。この頃から、日本機の防弾能力の削減が重量削減としていた事に弊害が生じていたのです。護衛戦闘機の決定的兵器の零式艦上戦闘機の出現で、陸上攻撃機隊の損害を抑えられる事になったのですが、この事自体が、陸上攻撃機の防御力の認識を遅らせてしまい、後の1式陸上攻撃機に弱点がそのまま引き継がれる事になったのです。
マレー沖開戦での陸上攻撃機隊の成功と渡洋爆撃による長距離戦略爆撃の成功で、世界を二回驚嘆させた傑作機でした。
僕的には、1式よりも96式の方が優雅な感じがして好きです。
ちなみに、世界1周した96式陸上攻撃機の民間機バージョンのニッポン号は、その任務の後は、通常の陸上攻撃機となって戦地に向かったみたいです。




姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。

三菱 1式陸上攻撃機

1shikirikukou.jpg
1shikirikukou (2)



24型 第761海軍航空隊

11型 高雄航空隊


1式陸上攻撃機です。
海軍が重爆撃機を持つなんて世界的に見ても例が無いのですが、それには理由があって、戦艦の保有数に制限が有る日本にとって、数に勝る米英に少しでも出血を強いるには、航続距離が長い攻撃機で戦艦のいくつかを叩いておいてから、戦艦同士の決戦に持ち込ませたいと考えていたからです。
その為には、遥か洋上に居る艦隊を攻撃できる長大な航続距離と、軽快な運動性能を持つ攻撃機が必要でした。
そうなれば、陸上を基地とする双発の爆撃機の選択になったのです。
洋上の艦隊を、途方も無い航続距離を有する爆撃機で攻撃するなんて、世界中のどこにもなかった発想でした。ましてや、移動する艦船が航空機で沈むなんて誰も考えなかったのです。アメリカのB-24やランカスターが艦船攻撃に使用された事もありますが、それは爆弾搭載量を考えて行った言わば副任務。
いきなりそんな奇想天外な航空機を作るのは無理だったので、まずはテスト的意味合いで製作されたのが96式陸上攻撃機(後にご紹介します)です。そして、その実戦と運用経験から艦船攻撃機の1式陸上攻撃機が誕生しました。
長大な航続距離を優先した為、防弾装備は殆ど考慮されなかったのです。開戦当初の制空権下で攻勢にあるときは問題にならなかったのですが、守勢にまわったときには最大の弱点になってしまい、1式ライターなんて不名誉なあだ名を付けられてしまいました。ワンショットライターとも言われてます。
このワンショットラーターについてなのですが、十分な護衛戦闘機と制空権下で攻勢の状態では、爆撃機の損害はずいぶんと低く抑えられます。しかし、守勢にまわり敵制空権下で敵の迎撃機が多数居る環境において、爆撃機がいくら強力な防御力や火力を持っていようとも、大戦初期のドイツ本土昼間爆撃でのイギリス空軍爆撃機やバトルオブブリテンでのドイツ空軍の様に、驚くほどの損害が出るのは万国共通でした。一式陸上攻撃機が零式戦闘機の十分な護衛と制空権確保の中、高高度からの爆撃をしていれば、一式陸上攻撃機でも損害は少なかったのです。一式陸上攻撃機が弱かったわけではありません。
遥か洋上の戦艦を陸上から発進した攻撃機で打撃を加えるという構想は、開戦当初のマレー沖開戦で立証されましたが、皮肉にもパールハーバーで多くの戦艦を沈めた攻勢時には、攻撃する相手が存在しておらず、陸上爆撃が主任務になってしまいました。そして、米戦艦部隊が多く出現する頃には日本の制空権は無く守勢にまわっていた為、被害が多く出てしまったのです。台湾沖航空戦でマレー沖海戦の再来を目指しましたが、敵制空権下でレーダー射撃にVT信管と、強力な防空体制の前に、最強の陸上攻撃隊は壊滅してしまいました。
攻撃は最大の防御とした日本の航空機に対する考え方は、零式艦上戦闘機を代表としてその他の殆どの航空機が採用しており、同じ様にして消えていったのです。
しかし、1式陸上攻撃機を航空機として考えたならば、極めて卓越した航空テクノロジーの結晶であったのは間違いなく、現在の航空機による長距離戦略爆撃や船舶攻撃に絶大な威力を発揮する事を立証した世界最初の航空機だったと思います。
終戦時には前面白色で緑十時を描いた降伏使節団専用機となり、開戦から降伏まで、全期に渡って活躍したのはスゴイですね。
陸軍の97式重爆撃機(後にご紹介)や100式呑龍重爆撃機(後にご紹介)が、一式陸上攻撃機程有名になれなかったのは、航続距離に関係すると思うのですが。







姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。

ハインケル HE-111爆撃機

he111.jpg
he111 (2)


H-6 5./KG26 第26爆撃航空団

第5中隊 (1H+AN)


H-6 2./KG27 第27爆撃航空団

第2中隊 (1G+HK)


ハインケル HE-111爆撃機

ドイツの双発爆撃機といえば、まずこれが出てくる位に有名な航空機です。
スペインのゲルニカの無差別爆撃で悪名を上げてしまいました。
元々は、ルフトハンザ航空の民間機の名目で設計されてましたから、客室を見た目だけでもちゃんと作る必要があって、爆撃機としては胴体内爆弾倉に爆弾を縦に並べる不思議な搭載方法をとっています。
映画空軍大戦略では敵の主役を演じ、ナルニア国物語の冒頭シーンでも何故か出演しています(結構スゴイCG映像ですので、ここだけでも観る事をお勧めします)。
映画空軍大戦略のHE-111とスピットファイヤーの格闘シーンは、ジョージルーカスがスターウォーズの参考にしたといわれてます。
ハインケルらしい幅広い楕円型の翼がいかにもですね。
ドイツといえば急降下爆撃が大変好きで、双発爆撃機や4発爆撃機まで急降下爆撃性能もたそうと、結構無茶な事やっていますが、HE-111はダイブブレーキを装着されずに済んだみたいです。元が民間旅客機なんで、急降下性能は全く考慮されてませんでしたから構造的に無理だったはずです。
この機体は仕方がないにしても、何故かドイツ爆撃機には、後部銃座を作ろうとしませんでした。
爆撃機にとって戦闘機により後方からの銃撃が最も危険なはずなのですが不思議です。
さらに、機銃砲塔も作りたがらず、オープントップ銃座だったり、ピストルポートみたいな銃座が多く見られます。
多分、高速爆撃機を目指したので、重量削減や空気抵抗を考えてそうしたのではと思います。
その火力の弱さが、後のバトルオブブリテンで大損害につながってしまいます。
それでも、ロシアの白色と塗装やアフリカのロンメル将軍専用機、雷撃機やミサイル搭載機やギガント牽引機等、ドイツ空軍がゆく所には必ず存在し、それだけ使い易く信頼された機体だったのでしょう。
戦後もスペイン等では数多く残存しており、スペインに至ってはエンジンをイギリス製の物に乗せ換えてライセンス生産していた経緯もあります。また、スペインの協力で上記の映画空軍大戦略では本物のHE-111が出演しました。戦後になっても使用された事は、この航空機が高い評価されていた事には間違いないと思います。
映画の中ではヤラレ役が多いのは、僕はちょっと物申すです。




姉妹ブログ
『ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語2from九州』
も宜しくです。
ブラックバス釣りネタだけですが、ヘッポコ釣り道中を書いてます。

九州飛行機 局地戦闘機 震電 vs B-29

PICT0003 (4) - コピー
PICT0004 (2) - コピー
PICT0016 - コピー
PICT0014 - コピー2
PICT0015 - コピー
PICT0018 - コピー
PICT0019 - コピー

局地戦闘機-震電

今回は、日本機の中で別格の扱いを受けている 局地戦闘機-震電 です。
多くの文献やネット上で色んな評価が書かれてますので、、僕はちょっと別なところで書いてみます。

実用化可能な機体だったかどうかです。

ずっと昔、まだ僕が学生だった頃にアルバイトしていた先の社員さんに、この航空機に携わったご家族の方がいらっしゃいました。その方が仰るには、
『震電は実戦投入に十分な完成度と性能を発揮できました。すでに月産100機位の生産ラインも準備されていました。生産ラインが有った場所は●●で、その向かいに有る●●●●社の所で製造予定でした。さらに、そこでは特殊攻撃機の橘花の生産も予定されていました。その橘花に積むジェットエンジンの技術で、震電のジェット化も考えていました。物資輸送などに必要な幹線道路や鉄道に飛行場や●●と条件が揃ってました。』

その方、震電の実用・ターボ過給機・橘花の生産・ジェットエンジンは何度も強調して仰っていましたので、僕は結構イケていたのではと思っています。
震電のジェット化については、後世の私達が震電改という名前で呼んでいますが、実際はそんな名前で計画はしていなかったみたいです。しかしながら、橘花と震電が同じ地域で生産を予定していたことから、噴式震電をやってみようと考えるのは、技術者として当然だったかもしれません。噴式にする前にレシプロ機にしたかどうかは分かりませんが。いずれにしても、震電は、ほぼ完成していた航空機だったと僕は思っています。
(震電や橘花の生産場所や具体的な詳しい内容や情報については、携わった方々にご迷惑をお掛けしてはいけませんのでご容赦下さいませ)
その生産ラインが有った場所は、僕が幼い頃はただの草が生えた荒地で、何故に此れだけの空き地が手付かずなのだろうと思っていたのですが、色々理由が有ったのでしょう。現在は、きれいな住宅街にマンションやショッピングセンターが建ち並び、その面影は残っていません。
もし完成していれば、実戦投入していれば・・・・、僕達の想像にワクワク感を持たすに十分な航空機だった事には間違いありません。
現在、九州飛行機またの名を雑餉隈飛行機工場は存在しておらず、2001年までは渡辺自動車工業となって西日本鉄道のバスを手がけたりしていましたが解散しました。本体の渡辺鉄工株式会社は現在も存在します。



ボーイング B-29 スーパーフォートレス

PICT0007 - コピー
PICT0013 - コピー
PICT0010 - コピー

Boeing B-29 Superfortress

第509混成部隊 機体番号44-27297

ボックス・カー"Bockscar"



第二次大戦中のレシプロ4発機の最高傑作B-29です。
僕がWW2の航空機のNo1はどれですかと聞かれれば、間違いなくB-29と答えます。
日本人には、原子爆弾と焼夷弾無差別爆撃で非常に恐れと記憶に深く刻まれた機体です。

僕のひいお爺ちゃんから聞いた話です。
『ある日、B-29が1機で進入してきた。山の向こうに行って暫くしたら、空がピカッと光って凄い音がした。そして辺りが真っ暗になった。後日、それは米国の新型爆弾ピカドンだったと聞かされた。光を見た者は沢山死んだ。』
僕がこの世に生まれてこれたのは、ご先祖様がピカドンから離れた所に住んでいたからです。
僕は決してあの惨劇を肯定はしません。

技術者として、あの時代にあの航空機を作る事が出来たアメリカエンジニアの努力と工業力には驚嘆と羨望があるからです。

幸い、僕は実物のB-29に触れる機会に恵まれました。
大変コンディションが良い機体でした。
第一印象としましては、思っていたより小さいな、でした。
YS-11と比較しまして、機体サイズはB-29の方がひと回りデカイのですが、そこは旅客機の居住性とは大違いで、ゴチャゴチャして狭いものです。
コクピットは軽自動車の運転席より少し広いかなって感じ。
零式戦闘機と比べれば結構豪華な椅子。
前方視界も十分です。
当時としてはハイテクな与圧キャビンに空調完備です。
その為、各銃座を結ぶ通路は極めて狭いトンネルになっていて、簡単に移動は出来なかったでしょう。
あれだけの重量の機体を前方三点着陸とし、それを支えるタイヤにサスペンションは立派。
機首にはアメリカの当時の超ハイテクのノルデン照準機。
これがなかったら、高高度爆撃は成し得なかったでしょう。
日本では最後まで実用化出来なかったターボエンジン。
終戦間際に、過給機付き五式戦闘機でなんとかこぎつけた程度でした。
(もしかすると、日本人の自家用車ターボエンジン好きはこの辺からきているのかも)
日本機は、この過給機が付いていなかったので、空気が薄い超高高度で失速してしまい、B-29追撃を困難にしてしまったのです。
アメリカは、太平洋戦争開戦時には既にB-17に搭載しており、後の、P-38やP-47にも搭載していたのです。

これだけのスーパーハイテク機だったので、日本側からは全く歯が立たない航空機とされ、なすがままのイメージが有りますが実際はどうだったのでしょうか。
最近の文書公開によって色々明らかになっています。
10000mの高高度性能は、実際は結構キツイ限界ギリギリ飛行で、パイロットは相当シンドイ思いした様です。一説には壊れる直前だったとか。
軽トラで、高速道路を時速150kmでぶっ飛ばしているみたいだったかもしれませんね。
日本機の迎撃を避けれても、機体そのものがヤバイ状況だったのでしょう。
そんな状況で爆撃しても、いくらノルデン照準機でもなかなか当たらない。
そこで、高度を下げて焼夷弾による無差別爆撃となったわけです。
防御力は極めて優れていて、リモートコントロール銃座にセルフシーリング燃料タンク。
ところが・・・
最初は自分のB-29以外は全て敵機だったので、上がっ来る戦闘機全てに銃撃できたのですが、後に、P-51が護衛に付く様になると混乱が発生してしまいました。
そう、機銃手には日本機も味方護衛機も区別が付かない状況になっていたんです。
B-29周囲で、ドックファイトしている味方機と日本機が入り乱れて飛んでいて、撃つに撃てない事になってしまいました。
これには、B-29クルーからの証言もあって、目の前に飛んできた4発機以外は全て敵と思ってやってきたもんだから、味方のP-51にも銃撃してしていた様です。
どうしても、爆撃機は焦燥感にかられるから仕方が無い事ですね。
セルフシーリングの燃料タンクは、日本の防弾に比べれば格段に優れたものですが、なにせガソリン容量がハンパじゃない。
翼にガソリンタンクローリー車乗せているみたいなものですから。
日本側もB-29の弱点としてココを狙っており、20mm弾を被弾してしまうと、ガソリンに引火して凄まじい火ダルマになってしまいました。
概ね、20mm弾を200mの距離で被弾すれば1m程度の穴が開いて3発命中で確実に墜落していました。
当時のクルーの証言では、
被弾して火ダルマになってしまうと機体が爆発起こすのでまずは助からない・・。
与圧キャビンで簡単に脱出出来ないからパラシュートは意味が無い・・。
上手く逃げれたとしても、炎上中の市街地の上では下で焼け死ぬだけ・・。
助かるには、上手に機体を操作して運良く海上まで出て海上着陸出来れば、機内のボートに乗って、非常食で食い繋いで、釣竿で釣しながら救助を待つ・・。
上手く地上にパラシュート降下できても、日本軍に捕らえられてまず助からないらしい・・。
その様な状況から、被弾失速中のB-29に無線で僚機からガンバレのエールが送られたが、海上まではもたないと判断して、コクピットから別れの手を振クルーの姿が確認され、炎上四散したという悲しい話も有ります。
日本から硫黄島やサイパンや沖縄迄の長距離飛行による疲労と、被弾や故障等による失速。
道のりはヨーロッパ戦線と違って大海原。
墜落するB-29クルーの生存率は、最終的には限りなく0%に近かった様です。
渡洋長距離攻撃は、日本人はもちろんアメリカ人にとっても、ダメージ=死という過酷なものでした。
B-29という航空機を、被災者と被爆者側だけでなく、技術者の側面と使用者の苦悩という側面からみれば、違ったものに気付かせてくれます。

学生時代、大学工学部教授の授業でこう話されました。
『超高空を銀翼をキラキラさせながら飛行するB-29を美しく羨ましく思った』と。

ちなみに、ボックスカーとは、箱車や運搬車という意味ではなく、元々は機長のボックさん専用車の意味です。両方に掛けてボックスになってます。エノラゲイはゲイのエノラさんです。アメリカ人の航空機の愛称にはビックリするものがありますね。



コンソリデーッテッド B-24 リベレーター

PICT0003 (2) - コピー
PICT0004.jpg


B-24J リベレーター 第43爆撃飛行隊

B-24J リベレーター 第453爆撃飛行隊

Consolidated  B-24 Liberator
コンソリデーッテッド B-24 リベレーター(解放者)です。
太平洋戦争開戦時には既にB-17と交代させる機体として準備されてました。
全ての性能についてB-17を上回る様に設計されており、軍の肝いりって事も有って、20000機も作りまくったアメリカ爆撃機生産数№1の航空機です。
零戦の生産数が10700機位だったので、アメリカの工業力に驚嘆してしまいます。
単純計算で、零戦1機でB-24を1機撃墜したとしても、数が足らない事になるのです。
高翼でアスベクト比が高く薄く細長い主翼は、飛行安定性能を良くする為のデザインです。
が、実戦ではその主翼が弱点になってしまい、被弾すると脆いという面が出てきてクルーからは不評。さらに被弾で飛行安定性が急に悪くなり操縦が大変。しかも墜落スピードはB-17よりも速い。
(ドイツ空軍のガンカメラの残されている映像を見ますと、B-24がボコボコにされているシーンが多く有ります)
高翼にして爆弾搭載量は多かったものの、爆弾槽扉がデカすぎて、海上に不時着すると直ぐに水没してしまう有様。
何故かB-17よりも高高度性能が低い事も判明。
爆弾は沢山積めるものの、安全な高高度性能が低く、操縦性も悪く、攻撃を受け易いうえに被弾すると脆く、海上に不時着すると逃げれない・・・・。
さらに、密集防御編隊に失敗して、味方機に爆弾落して味方機撃墜が相次いだ時には、乗ってるクルーはたまったもんじゃないです。
そーいえば、映画の登場も少ないみたいです。
アメリカ人に気に入られていた点は、幅が広い機体だったので、思いっ切りノーズアート書けた事だけ。
イギリス人には、アブロランカスターと同じ爆弾搭載量の多さで好評でした。機体形状もなんとなく似てますね。
日本本土にはB-29をサポートするかんじで飛来しており、呉の大和ミュージアムに残されているロンサムレディーの遺品は、このB-24です。
B-17の航続距離では日本本土攻撃は無理のようでした。
戦後は使い潰されたあとにスクラップにされてしまい、最後まで気の毒な評価となってしまいました。
結構悪口書いてしまいましたが、僕はB-17よりB-24の方が好きです。




ボーイング B-17 フライングフォートレス

PICT0009 - コピー
PICT0011 - コピー


Boeing B-17 Flying Fortress type F and G


第43爆撃大隊 第403爆撃中隊 

MUSTANG B-17F型


第1戦闘爆撃航空団 第381爆撃航空群 

第532爆撃飛行隊 B-17G型




今回はボーイングB-17フライングフォートレスのF型とG型です。
アメリカ人は特にこのB-17はお気に入りの様で、WW2戦争映画の戦略爆撃となれば、ほぼ確実に登場する機体です。
映画メンフィスベルで登場したのはF型です。
デザインもそうなんでしょうけど、むしろヨーロッパ戦線でのルフトバッフエ相手に戦った勇敢さによる数々の逸話が、アメリカ人の心に強く残っているのでしょう。
僕的に驚きなのは、これだけの技術の大型機を、太平洋戦争開戦時には既に実戦配備していた事です。
日本も相当この機体には手を焼いたみたいで、なかなか落ちないB公だったと記録に多く残されています。
その辺は、映画零戦燃えゆの中で描いてありますので、ご覧になって下さい。
2機種作りましたが、やっぱりアメリカ陸軍規定のオリーブ色のF型が好きですね。
ちなみに、映画ガンヘッドに出てくる宇宙船はB-17がモチーフになっています。
機体デザイン的には、低翼で冗長で肉厚で幅広い低アスベクト比の主翼に、尾輪式着陸装置と、やや古めかしいところが有りますが、1934年設計を考えれば仕方が無いところですね。逆に、その古めかしさ、特に肉厚低アスベクト主翼が実戦では打たれ強さにつながって、多くの物語を残す事になった様です。
B-17の交代機であるB-24(後日ご紹介)は、B-17を上回る技術と性能を持っていたのにもかかわらず、攻撃を受け易い機体だったので、アメリカ人の人気はB-17だったみたいです。
凝ったハイテクよりも頑丈さと使い易さなんでしょうね。
現在も多くのB-17が残されています。








ボーイングB-17
「フォートレス」爆撃機

大戦中の大型爆撃機といえばB-17とB-24。共に性能・生産数など大きな違いはないものの知名度は B-17が俄然有名であり著作や映画も多い。
その理由の一つとして、B-17は当時の新しい形の防衛計画「空の要塞論」を展開する新鋭軍人達の論理の裏付け的存在だった事もある。これは地上の要塞より、空をハリネズミのように武装した大型機で要塞化するという意見で、この大型機は「空の要塞」と呼ばれ「戦闘機無用論」をもたらした、この戦闘機無用論は日本の海軍航空界でも航空論者達から唱えられた事がある。
当時のもう一つの画期的な意見として「飛行機」は「戦艦」をも沈める事ができるという意見で、これが実現すれば途方もない費用を消費しつづける戦艦など無用であるとする「戦艦無用論」が台頭してきた。
そんな各論と流麗な姿態を持つ巨大なB-17がイメージとして重なっていた。
(余談として、アメリカ軍が戦艦無用論と航空優位論を正式に認めたのは1945年4月7日 戦艦大和を撃沈してからで、大和攻撃はその各論確認の意味から航空機攻撃に限定したとも言われる)

本機は、モデル299からXB-17と数々の実験と改修を重ねて就航したB-17Eが私達の知るB-17の形で、最大速度約510km/h、約2~4トンの爆弾を半径約3000キロ先まで運び、約10挺の7.7mm機関銃で自身を防護した、その頑丈な作りは少し位の被弾で崩壊する事はなかった。
本機の防御機銃はアメリカが戦争に参加する予想から1941年に全て12.7mmに変えられた。

生産数は12700機、B-24が19200機だから合計すると約3万機、1942年から始まったドイツへの爆撃行は約100~600機の大編隊を組んで爆撃を行った、これだけの数になるとただ数の勝負でしかないが4発重爆撃機をこれほど大量に連日実戦に投入できる国はアメリカしかなかった。 といってもその損害も多くB-17の各型は対ドイツ機防御史そのもので、型は約6種、最終G型はジェット機相手に善戦した。

日本では戦意高揚のため捕獲B-17機を陸軍が国内で飛ばしたり展示したりしていたが、その仔細な技術的検証を現場に生かす事がなかった、そのために日本の陸海軍戦闘機は、その主要武器である7.7mm機関銃2丁で12.7ミリ機関銃10丁を持つB-17に、戦場でいきなり対峙することになりB-17対策に頭を抱えた。
たまたまある知恵者が、使い道がなく放置されていた十三試双発戦闘機の胴体に斜め30°に20mm×2を積んで上・下方から射撃する方法を考えだした、この方法は存外に結果が良く、斜銃装備の「夜間戦闘機月光」となったがあくまで夜間の目視による少数機の成功でしかなく、これと言った対抗策もないまま次の B-29を迎える事になる。


http://www.k2.dion.ne.jp/~bobcat/HTMLmemo/1W-B-17A.html 2011/02/20アクセス

アブロ ランカスター

PICT0003 - コピー

PICT0003 (3) - コピー

暇にまかせてチョコチョコ飛行機や船や戦車作ってますので、時々場つなぎで紹介致します。

アブロ ランカスター

第467飛行隊 1944年 イギリス南部

”NO ENEMY PLANE WILL FLY OVER THE REICH TERRITORY”
ヘルマン・ゲーリング元帥の言葉が機首の爆撃マークの下に皮肉で書かれています。
アブロランカスターは、イギリスWW2航空機の中で最も好きです。
武骨で空力的にどーかなーと思ってしまう角ばった寸胴な機体。この飾りっ気の無さが魅力です。
日本には直接攻撃の為に飛来しなかったので、日本人にはあまり馴染みのない航空機ですが、イギリス人はスピットファイヤーと並び大変誇りに思っています。
実戦では、B17やB24に比べると攻撃を受けやすいうえに、航続距離も短かったのですが、その並外れた爆弾搭載量を活かして夜間爆撃に専念していました。
映画ランボー最後の戦場で、ミャンマー山中で不発弾のトールボーイが登場しますが、ビルマ戦線にランカスターが飛来した記録(飛来して基地にする予定は有った)が無いので、投下の事実も無かったのではと思います。

一度は航空博物館で実機を見たいなと思っています。






【 勝利をつかんだ傑作重爆撃機 】 第二次大戦中のイギリス軍を代表する重爆撃機がアブロ・ランカスターです。信頼性の高いロールスロイス製マーリンエンジン4基を備え、1941年1月に原型機が初飛行に成功。機体全長の半分に近い長さ約10mもの巨大な爆弾倉を持ち、頑丈な構造とあいまって最大で9856kgもの爆弾を搭載できました。また英国製エンジンを搭載したMk.Iに加え、米国パッカード製のマーリンエンジンを搭載したMk.IIIも開発され、各型合わせて終戦までに7377機を量産。1942年3月に初めて実戦投入されたランカスターは、大戦後半はドイツ本国に対する夜間爆撃の主力として飛び続け、延べ156,000回出撃して終戦までに608,612トンもの爆弾を投下。ドイツの工業生産に大きな打撃を与えて連合軍の勝利に貢献し、スピットファイアやモスキートと共に大戦中にイギリスが生んだ傑作機の1つに数えられたのです。


http://www.tamiya.com/japan/products/61105lancaster_b/index.htm 2011.2.11アクセス

三菱 A6M3 32型 零式艦上戦闘機 Hamp

32323232323 - コピー - コピー (2)
32323232323 - コピー - コピー - コピー

The TYPE 32 ZERO had the most radical change in the entire series and was readily recognized by its squared off wing tips. This reduced total span to exactly 11 meters and eliminated the cumbersome folding tips which consumed time during combat to get the aircraft down carrier elevators. The larger Sakae 21 engine gave the type 32 a better rate of climb and the shorter wing span (1 meter shorter) lessened stick forces and increased roll rate. The HAMP was utilized throughout the war, but saw most of its service off of land based installations in the southern island chains of New Guinea and the Phillipines.

[Tamiya 1/48 Mitsubishi A6M3 Type 32 Zero Fighter Hamp Airplane Model Kit]

Excluding this,
97SHIKI Fighter (Ki 27 Nate) and parts of ZEROFIGHTER20mm machine gun and the heavy bomber HIRYU(ki 67 Peggy) of parts.Parts of heavy bomber B29 shot down.There are a worker clothes and daily necessaries of TACHIARAI BASE, too. 97SHIKI and ZEROFIGHTER type32 are all over the world and the only airplanes.

Postscript,
This ZEROFIGHTER, the body is TYPE22, and the wing is TYPE32.
The state of conservation of the cockpit is a good, valuable aircraft!.

戦艦ミズーリ・アリゾナ、軍艦防波堤の防空駆逐艦 涼月・二等駆逐艦 柳

まずは、元のブログからお引っ越しネタをちょっと。

以前、東の方に研修で出掛けた帰りに若松に寄り道しました。

若松のリサイクルセンターが有る埠頭の先に軍艦防波堤と言う名の場所があります。

此処には、3隻の駆逐艦が眠っています。

y7ykugbkubkubkub - コピー

『駆逐艦冬月と涼月』は、第二次大戦中に建造した世界最強の駆逐艦で防空駆逐艦としても極めて優れた艦でした。この二隻は男たちの大和の映画でも描かれていた1945年4月7日の沖縄特攻作戦に参加し、大和に最も近いところで直衛した艦です。
船体の殆どはコンクリートに埋まっていますので、涼月の右舷と冬月の左弦の一部が確認できます。
写真は涼月(涼月ではなくて凉月とも言われてます)の艦尾です。
引き潮の時には比較的見やすいです。
前方の方には大きな凹みが有り、恐らく大和護衛中に艦載機の攻撃で被弾した痕かと思われます。

y7yjkugbkuhb - コピー

『駆逐艦柳』は大正時代建造で第一次世界大戦でヨーロッパ遠征をした駆逐艦ですが、太平洋戦争時は旧式ゆえ参加せずに訓練艦として使用されました。北海道の津軽海峡で艦載機の攻撃を受け被弾、海岸で座礁状態で終戦を迎えました。
腐食が激しいのでコンクリートで補強されていますが大体の船体の概要は見ることが出来ます。

此処は公園等ではなく、通常関係者以外立ち入り禁止区域となっていますので、見学の際は必ず管理事務所に許可を取って開錠してもらってからお願い致します。

決して柵を乗り越えたり横から侵入しないで下さい!。


次の写真はオマケです。

戦艦ミズーリとアリゾナです。

中央の半透明の人物は私です。
ジャージ着て国際線乗って見に行った恥ずかしい格好で写ってます。

y7trfytrfytrfd - コピー

『戦艦ミズーリ』は現存する戦艦としては最大ですのでやっぱりデカイ!(大和級とビスマルク級は沈んでますので)。
艦内歩き回るだけでも2時間は掛かります。
日本史の勉強で必ず出てくる無条件降伏の調印船です。
調印がなされた場所には記念エンブレムが置かれていて、その直ぐ近くには、1945年4月11日の第五建武隊の爆装零式戦が特攻攻撃した痕が生々しく残っています。
大和の46cm砲よりワンランク小さい40cm砲とはいえ50口径40.6cmの長砲身なのでデケェの一言です。
砲塔射撃指揮装置内は大変狭くって、もしブリッジが被弾して各砲が独立砲撃する場合の射撃照準席に座ってみたのですが、こんな小さなスコープで見てて当たるのかなって感じでした。
こんな狭い中で薬莢と砲弾を装填して射撃音と振動が有るわけですから、とてもじゃないです。頭クランクラン間違いないですね。
基本的に全てが狭いです。階段も通路も急で人が離合するのも気をつけないといけない程です。
艦橋と作戦司令室とレーダー射撃室は広くていいですね(この辺はスチーブンセガール主演の沈黙の戦艦を観ていただけますと分かります)。
ブリッジのトップに立つと、おおおおっ!よーく見えるよー状態です。ビルの屋上みたいなもんです。
対空高角砲内はやっぱり激狭。
大和はこれより二周りも三周りもデカイのですからビックリですね。
尾道の『男たちの大和セット』でもあの大きさだったのですから!。


y7trdytfdytf - コピー

で次は『戦艦アリゾナ』です。
映画でもよく描かれる艦ですね。
艦首砲塔弾薬庫に被弾して誘爆爆沈したので、艦首部分は吹っ飛んでボッコリなってます。
今でも艦内の重油が漏れ出ていますので、水面にオイルの斑点が確認できます。
戦没した方々は今でも艦内にいらっしゃいますので、ここに立つと国境を越えて身を引き締められる思いです。


このミュージアムには、愛知99艦爆パイロットの遺品や中島97艦攻の真珠湾で使用した魚雷の残骸等多くを見る事が出来ます。

この後は、レンタカー借りて、かつての海軍航空隊が奇襲攻撃した際のオアフ島北方からの侵入コースを同じ道のりで車を走らせました。

(当然ですが右側通行ですね。方向指示器もワイパーも当然逆さま、スピードはマイル表示。日本では赤信号は止まれですが、あっちでは右折は赤信号侵入OK!。駐車場では頭から突っ込むのが普通。日本に帰ってきた時の最初のミスはウインカー出すときにワイパー動かしてしまう事。)

険しい山々とパイナップルやバナナ畑等、この上を低空飛行したんだなーと感慨深いものがありました。



模型等で見る時は格好が良いからと言うのが真っ先に出てくるのですが、実物に触れるとこれらを設計制作した人々の苦悩やこれらを扱って戦いに行った方々の想いから、改めて今の平和に感謝しなければならないと思いました。

はじめまして

ブラックバスをビギナーズラックで釣る人の物語は、釣ネタを中心に旅やミリタリーものも書いてましたが、ミリタリー部分だけをコッチ側で独立させて掲載しています。ブラックバス釣のブログとあわせて、時々訪問いただけますと幸いです。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。